大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成元年(う)321号 判決

本籍

愛知県幡豆郡幡豆町大字西幡豆字松原四二番地

住居

同県同郡同町大字西幡豆字松原四四番地五

建築業(幡豆町議会議員)

大西保男

昭和七年八月一二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、名古屋地方裁判所が平成元年一〇月一九日言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官森統一出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人福岡宗也及び同小澤幹雄が連名で作成した控訴趣意書(但し、当審第一回公判調書中の主任弁護人の釈明参照)に、これに対する答弁は、検察官森統一作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意中、理由不備の主張について

1  所論の要旨は、次の二点において、原判決の(罪となるべき事実)の摘示には、理由の不備がある、というのである。

〈1〉  ほ脱所得の確定につき、損益計算法によったのか財産増減法によったのか明示しなかった点

〈2〉  被告人がどの種類の所得をほ脱し、その結果どれだけの税を免れたのかについて、その計算方法も示さなかった点

2  所論にかんがみ原判決を調査して検討してみるに、原判決は刑訴法三三五条一項により有罪判決をするのに示すべきものとされている(罪となるべき事実)として、所得税法二三八条一項の構成要件に該当するほ脱税額やほ脱行為などの各具体的事実を、各訴因の範囲内で、それぞれ認定判示しており、これらに加えて、所論が指摘する〈1〉及び〈2〉の各点についてまで明示しなかったからといって、原判決の(罪となるべき事実)の摘示に理由不備のかどがあることにはならない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について

1  所論の要旨は、次の二点において、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがある、というのである。

〈1〉  (法令の適用)において、「併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、刑法四八条二項」としているだけで、併合加重すべき最も重い罪の刑がどの罪の刑であるのか、懲役刑と罰金刑とにつきどのような法令を適用したか明示していない点

〈2〉  (法令の適用)において、「労役場留置 刑法一八条」とするのみで、罰金あるいは科料のいずれについて適用するのか明示していない点

2  右の1の〈1〉の主張につき、所論にかんがみ原判決を調査して検討してみるに、原判決は(法令の適用)において、所論指摘のとおり、「併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、刑法四八条二項」と挙示しているだけで、懲役刑につき併合罪の加重をすべき最も重い罪の刑がどの罪の刑であるのか示していないことが認められるけれども、原判決が(罪となるべき事実)として掲げている判示第一から第三までの各罪はいずれも所得税法二三八条一、二項に該当するものでその法定刑は同一であり、これらのうち、ほ脱額が最も多く犯情が最も重いのは原判示第三の罪であることが明らかであるから、原判決は原判示第三の罪の刑に併合罪の加重をしたものと充分推認できる。したがって、原判決が右加重する罪の刑を明示しなかったからといって、法令適用に誤りがあるとまでは言えない。また、右法条の摘示から、原判決は、原判示第一から第三までの各罪の刑(懲役刑及び罰金刑)につき刑法四五条前段に適用し、同法四七条本文、一〇条により懲役刑について(原判示第三の罪の懲役刑に)法定の加重をし、同法四八条二項により罰金刑について各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を主文掲記の懲役二年及び罰金四二〇〇万円に処したことが明らかであるから、原判決に法令適用に誤りのかどはない。

3  右の1の〈2〉の主張につき、所論にかんがみ、原判決を調査して検討してみるに、原判決は、(法令の適用)において、所論が指摘するとおり、「労役場留置 刑法一八条」とのみ挙示していることが認められるけれども、前記2で示したとおり、原判決は被告人に対し懲役二年及び罰金四二〇〇万円に処したのであるから、被告人が罰金を完納できないときは刑法一八条により主文掲記のとおり金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとしたことが明らかである。原判決に法令適用の誤りのかどはない。

4  以上の次第であるから、論旨は理由がない。

三  控訴趣意中、事実誤認の主張について

1  所論は、要するに、被告人は、原判示の各事実において、過少申告であるとの認識はなかったのに、右の認識があったと認定判示した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

2  所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、原審において取り調べられた被告人の検察官に対する各供述調書をはじめとする関係各証拠を総合すれば、原判示の各犯行時において被告人に株式取引にかかわる所得につき納税義務があるとの認識があり、したがって当該各確定申告が過少申告であるとの認識があったことを含めて、原判示の第一から第三までの各事実を優に肯認することができる。被告人の原審公判廷における供述中、右認定に抵触する部分は信用できないし、その他に右認定を動かすに足りる証拠はない。当審において、弁護人が請求する事実の取調べをしてみても、右認定が動かされる見込みはない。したがって、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山本卓 裁判官 油田弘佑 裁判官 片山俊雄)

控訴趣意書

所得税法違反被告事件 被告人 大西保男

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

平成元年一二月二六日

右弁護人

弁護士 福岡宗也

同 小澤幹雄

名古屋高等裁判所 御中

第一点 (刑事訴訟法三七八条四号前段・理由の不備)

原判決の理由中、罪となるべき事実の認定には不備がある。原判決は、ほ脱所得の確定につき、損益計算法によつたのか財産増減法によつたのか明示しない。また、被告人がどの種類の所得をまぬがれ、その結果どれだけの税をまぬがれたかについて、その計算方法も示さず、単に実際の総所得金額、これに対する所得税額、申告所得税額等と正規の所得税額との差額を認定するにとどまる。これは、刑事訴訟法三七八条四号前段の理由不備に該当するので、原判決は破棄をまぬがれない。

第二点 (刑事訴訟法三七八条四号後段・理由のそご)

判決には法令の適用を示さなければならない。「法令の適用を示す」というのは、法令がどのような経路で適用されたかを示すことが必要である。原判決の法令の適用は、原判決主文のよつて来る根拠を説明するのに不十分である。原判決は、法令の適用にあたり、「併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条、刑法四八条二項」を羅列して、一見あたかも犯情によりその軽重を定めたようでもあるが、原判決の罪となるべき事実の第一ないし第三のうちいずれの罪に対する刑が最も重い刑であるかを明示していない。また、この羅列においていかにも懲役刑及び罰金刑について併合罪加重したかのごとくであるが、懲役刑と罰金刑それぞれにつきどのような法令を適用したかは、この羅列だけでは明示されない。この羅列では、刑法四五条前段、四七条本文、一〇条が懲役刑に対するものとすれば、罰金刑についても刑法四五条前段を適用すべきであるが、その適用をしないままに刑法四八条二項適用している。

原判決は、法令の適用にあたり、「労役場留置 刑法一八条」とするが、刑法一八条の労役場留置は罰金及び科料についての規定であるから、刑法一八条を罰金または科料のいずれについて適用するのか、または双方について適用するのかを明確にしなければならない。

右の各事実は、刑事訴訟法三七八条四号後段の理由のそごにあたるので、原判決は破棄をまぬがれない。

第三点 刑事訴訟法三八二条・事実の誤認

原判決には、明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認があるから、原判決破棄のうえ被告人に無罪の言い渡しをされるべきと考える。

原判決は、被告人に故意を認めるが、所得金額が過少に記載された所得税確定申告書を税務署長に提出したとしても、その提出したことが自己の所得税を免れる目的でことさらになしたものではなく、過少申告であるとの認識がなければ、所得税を違反の罪には該当しない。

被告人は、株式売買による利益については税金がかからない思つており、課税用件について知らなかつた。したがつて、過少申告であるとの認識はなかつた。原判決は、被告人に過少申告についての認識があつたことを前提に判決を下した。しかし、被告人は過少申告であるとの認識はなかつたのであるから、被告人は無罪である。

証拠の信用性(証明力)について

一 査察官報告書(甲七〇号証、七一号証)の新聞記事について

原判決は、査察官報告書(甲七〇号証、七一号証)も証拠として掲げる。この各証拠は新聞記事に関するものである。

甲七〇号証は、株式市場新聞についての調査内容が記載されている。昭和五七年一一月一三日の株式市場新聞には、「「売買益は無税」つてホント?!」という記事があり、「原則として無税です」と書かれている。株式市場新聞の昭和五八年六月四日には「金融資産運用の税金」という記事がある。この記事は「株運用の税金」とは書いてない。これらの記事を被告人が読んだという証拠はない。そもそも株式市場新聞を購入するのは、相場の動きや今後買う株についての情報を得るためである。新聞を読む際、だれでも興味を持つところ以外は読まない。右二つの記事も読みかた次第では「株の税は無税」と理解できるものである。このような記事をもつて、被告人が課税要件を認識していたという証拠とはならない。株式市場新聞の株の税についての記事は、昭和五九年、昭和六〇年には全くない。被告人は昭和五七年度、昭和五八年度は株式売買で赤字であつた(被告人の第二回公判廷における供述一二)。もうからない時期に税金の記事など興味を持たないし、もうからなかつたことから、株の損の分税金を還付してもらえないかと考えたことも、他の人に相談したこともない。被告人は株は税金と関係がないと考えていた。

甲七一号証は中日新聞についての調査内容が記載されている。

この調査の昭和五六年二つ、昭和六〇年二つの記事はいずれも刑事事件の記事である。昭和五七年から昭和五九年までの間は全く株の税についての記事はない。被告人は株式投資に興味を持ち新聞を講読しており、中日新聞の夕刊は昭和五八年二月ころから講読していない(甲六六号証・二八八一丁)。被告人が読む記事は株にかかわる情報であり、一般的な社会の情報についてはたいして興味を持っていない。このような被告人が、刑事事件に関する報道があつたことから、直ちに株式売買益についての課税要件を知つたとはいえない。

二 多数の会社との取引

原判決は、被告人が多数の会社と取引していたことから、多数の会社との取引を所得秘匿の方法と認定する。しかし、被告人が多数の会社と取引したのは、それぞれに理由があつたのである(乙一〇号証・二六一八丁以下)。

三 証券会社社員等の供述について

証券会社の社員等の供述は、実際には被告人に課税要件について話したことが無かつたのに、検察官から何度も呼び出されたり、証券会社の社員が税金のことを話さないのはおかしいと言われ、検察官に迎合したものであつて真実とは異なることが供述調書に記載されたのであり信用できない。また、山本弘の供述(甲五五号証)は、山本自身が被告人に記帳指導をしながら、その際課税要件について被告人に一度も話をしていないのに、直接同人が被告人と話したことではない、三年も前のことを思いだした内容であり、その内容は真実性に乏しい。大澤一三の供述(甲五五号証)は、一三年前の記憶等を内容としており、これも真実性に欠ける。本多蘭子の供述(甲六五号証)では、「四九回までは税金はかからない」ということを被告人から教えられたというが、その日時が不明確な上、本多が株式取引を始めたのは、昭和六二年三月以降であることを考えると、昭和六二年三月一二日の被告人の確定申告書提出以前に被告人から教えられたという証拠にはならない。しかも、この供述は、課税要件のうちの回数にはふれているが、株数には触れていない。

四 税金の本について

検乙八号証(被告人の検察官に対する供述調書)が課税要件についての最初の自白調書である。以下この調書について検討する。

自白に至る経緯

自白は任意になされたものではない。仮に任意性が認められるとしても、供述内容は事実に反するものである。

「税金の本」に関連して検察官は自己の推測を被告人に押し付けたものであり、調書の記載内容自体から、検察官の思い込みに基づいて書かれた調書であることが明らかである。

右調書には「税金の本」が送られてきた理由につき、「以前、私は野村証券を通じて株の売買取引をしていたことがありましたので、それで送られてきたのだと思います。」との供述があるが、被告人はこの本の存在自体記憶になかつた。そのため、入手理由を思い付かなつた。そこで検察官は、証券会社は顧客に課税要件を知らせているはずであるとの思い込みから、以前野村証券に株の売買を委託したことがあり、それでおくられてきたとの筋書を考えたのである。

しかし、この供述は他の証拠に照らすと事実に反することが明らかである。検察官は、右被告人の供述調書を作成するにあたり、野村証券から「税金の本」の発送時期についての照会に対する回答を得ていなかったので、平成元年七月一一日(右調書作成日)の午後一時五三分に、検察事務官田上をして野村証券に確認させている(甲六九号証)。この確認において昭和五八年六月から七月に「税金の本」が発送されたことを確認したが、何故被告人に発送されたかまでは考えることなく、証券会社は顧客に税金の事を知らせるのは当然と考え、顧客に送つたという筋書を考えたのである。検察官は自白調書を作成することを急ぐあまり、証拠の検討を怠り、自己の筋書が唯一正しいと考え調書を作成したのである。そもそも証券会社が顧客に税の事を積極的に知らせるなどということは、その営業に有利な場合を除いては有り得ない。まして、歩合給で働く外務員ともなれば、一定以上の取引は税金がかかるなどといえば、顧客は取引に消極的になり、その結果は自分の収入にかかわるのである。そのような者が顧客に税の話しなどするはずがない。検察官はこのようなことに思い至らず、証券会社などが顧客に税金の情報を流すのは当然として、右調書を作成したのである。野村証券から文書によつて、「税金の本」の発送時期についての回答が届いたが、検察官は既にその予定する調書を作成した後であつたので、回答(甲六八号証)を検討しなかつた。甲六八号証によると、「弊社株主にはここ毎年「税金の本」を贈呈しております」とか「ご照会の大西康生株主への」という記載があり、「税金の本」は株主へ送付されたものであることがわかる。また、「税金の本」が入つていた封筒にも「株主謹呈」と書かれている。「税金の本」は、検察官が考えた顧客へのサービスとして送られたものではなく、株主へのサービスとして送られたものである。被告人が真に「税金の本」に関連して課税要件について供述したのであれば、当然株主に送られたと供述したはずである。野村証券との取引については被告人の右供述以外には何の裏付けもない。取引のない証券会社から突然本が送られてきたことについて、取引があつたからという供述が、検察官の作文であることは明白である。

野村証券の株式の取得

被告人は野村証券の株式を内外証券を通じ、昭和五七年一〇月一日に二〇〇〇株、昭和五七年一一月二四日に一〇〇〇株取得した(甲一六号証の顧客勘定元帳、昭和五七年一〇月分・一二三八丁と一二三九丁の間及び一一月分・一二三九丁)。これら野村証券の株式を売却したのは、昭和五九年四月一八日に一〇〇〇株、昭和五九年七月一一日に二〇〇〇株である(甲一六号証の顧客勘定元帳、昭和五九年四月分・一二五四丁及び七月分・一二五七丁)。この売買は現物売買である。このことは顧客勘定元帳の現物その他勘定に売買額の記載があること、保証金額の記載がないことから明らかである。被告人が野村証券の株式を所有していた期間に「税金の本」が送られていることは、「税金の本」が株主贈呈用であることを考えれば当然のことである。被告人の右供述調書に、このような事実とは異なり、「野村証券を通じて株の売買取引をしていたことがありましたので、それで送られてきたのだと思います。」と、「税金の本」入手について記載されていることは、この調書が被告人の供述に基づいて作成されたものでないことを物語る。

「税金の本」を読んだか否か

右供述調書には、「この税金の本が野村証券から私の所へ送られてきてから間もなく私自身この本をざっと目を通しているのです。」「株式の売却益について記載されている一〇五ページから一〇九ページあたりを中心にしてその前後が黒く汚れていることを今私も確認しました。従つてこのあたりの記載部分をよく見ているということになる訳です。もちろん、この部分を見たのも野村証券からこの本が送られてきて間もなくという時期です」との供述がある。これら供述にも疑問がある。「税金の本」にざつと目を通しただけで、特定部分が黒く汚れるなどということは考えられない。「税金の本」は、平成元年七月六日の捜索差押の際押収された(甲四九号証)。この日の捜索差押えで、課税要件を知つていたと疑われる事実の記載されている文書として「税金の本」が差押えられたのであるが、この本をだれよりも良く読んだのは捜査を担当する者であり、株式の売却益について記載された部分を探し、丹念に読んだのも捜査を担当する者である。「税金の本」が押収されたときには、野村証券株式会社の封書に入つていた(甲四九号証)。「税金の本」は昭和五八年以降約六年間封書にいれたままであつた。このような保管形態から考えても、被告人は「税金の本」には興味を持つていなかつたことが明らかである。また、国税の調査を受けてから約二年もの間「税金の本」を処分することなく放置してあつたのは、「税金の本」で税金のことを読んだ記憶がなく、本の存在自体意識していなかつたからである。本件では国税庁の調査時から課税要件を知つていたか否かが問題とされており、「税金の本」を被告人が読んだ事があるなら、真つ先に処分してもおかしくないのである。「税金の本」が被告人方で封書に入つた状態で押収されたことは、被告人がこの本の内容を知らなかつた事を裏付けるものである。「税金の本」の一〇五ページから一〇九ページが汚れていたという供述が、「ざつと目を通し」たという供述と矛盾することは先に述べたとおりである。「税金の本」は押収された後捜査官によつて特に一〇五ページから一〇九ページは何度も読まれたはずである。また、これらページはコピーされ、右調書の末尾に添付されている。このような扱いをすれば、読まれていない本でも汚れてしまう。検察官らが何度も読んだ後に示された本に汚れがあつたとしても、被告人が読んだという証拠にはならないのである。

五 注文伝票総括表

被告人は右調書(乙八号証)で、「なぜ、今日この課税されるということを以前から知つていたということについて正直に話す気になつたかということですが、それは注文伝票総括表やこの野村証券から送られてきた税金の本を見せられて、私の言つていることも通らないと思つたからです。」と供述している。税金の本についてはこれまでに述べてきたので、注文伝票総括表について述べる。

右供述では注文伝票総括表を見せられたことも正直に話すことにした理由とされるが、注文伝票総括表を見せられ何故正直に話す気になつたのか、ここで見せられた注文伝票総括表とはいかなるものか、右調書からは分からない。また、他にこの意味を理解できるような供述はないので、意味を推測するしかない。注文伝票総括表がどのようなものであるかについては、税金の本の一〇八頁、一〇九頁に説明がある。

「売買回数の数え方には、次のルールがあります。回数計算の方法は、原則として一つの委託契約(売り・買い別)ごとに、それぞれ一回として計算することになつており、銘柄数や株数には関係ありません。従つて、たとえば一回の委託契約で十数銘柄、数十万株を売却されることがあつても、それは一回にかぞえられます。また、一〇万株の注文が二万株、三万株…と結果的に数回にわたつて成立した場合でも、それが一回の委託契約に基づいて行われたものであることが明らかな場合は、一回にかぞえられます。これを証明するために前頁の「注文伝票総括表」があります。委託契約の発注時に証券会社に請求すればつくつてくれます。」

ところで、乙五号証の問六「あなたは株式の注文回数をどのように数えますか」という質問に、被告人は「同一日でも銘柄が違う場合は各銘柄ごとに回数は一回として数えていただけば結構です。」と答えている。被告人は注文伝票総括表のことなど全く知らなかつた。

三洋証券の碇谷が名古屋国税局に提出したという上申書(甲七六号証に添付・二四六〇丁・二四六一丁)によれば、被告人については注文伝票総括表を作成したことはない。被告人が回数制限と注文伝票総括表のことを知つていれば、注文伝票総括表が作成されているはずである。被告人が「税金の本」をよんだのであれば、注文伝票総括表の知識は当然得ているはずである。右上申書には「大西美佐子口座については昭和六一年一〇月三〇日ダイワ精工五〇〇〇株と昭和六一年一一月一日ダイワ精工五〇〇〇株以外には注文伝票総括表の作成はありません」と記載されているがこの注文伝票総括表の作成は碇谷が自分の判断で書きかえさせたものとの供述がある(甲七八号証、甲七九号証・二四七七丁)。この書きかえに被告人は全く関与していない。被告人が注文伝票総括表のことを知つていれば当初から注文伝票総括表が作成されているはずである。証券会社が大西美佐子分については注文伝票総括表を作成したのは何故であろう。

それは、証券会社の担当者が被告人に課税要件についてなんら話していなかつたからである。課税要件についてはなしをしたのであれば、当然五〇回という回数の数えかたが問題になるから、注文伝票総括表についても教えているはずである。それを教えていなかつたので、被告人の妻分について回数制限を超えないようにするため、あわてて注文伝票総括表を作つたのである。そうでなければ、証券会社があわてて注文伝票総括表を作る理由がない。そんな方法があれば教えてくれればと被告人からいわれる前に、被告人の妻分について注文伝票総括表を作成したのである。この時点で、証券会社は被告人の妻分と被告人分をはつきり区別していた。

以上述べたごとく、被告人は、株式売買による利益については、税金がかからないと思つており、課税要件について知らなかつた。したがつて、過少申告であるとの認識はなかつた。原判決は、被告人に過少申告についての認識があつたことを前提に判決を下した。しかし、被告人は過少申告であるとの認識はなかつたのであるから、被告人は無罪である。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例